(仏教の不思議)仏教・お釈迦様は宇宙の広さを知っていた?

念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞いたこと

「お釈迦様は、我々が住んでいるこの宇宙(世界)の広さをどのように言われたと思う?」と聞かれました。

私は急に振られたので全く想像もつかなかったものの、とても興味が沸いて来たので、

「想像もつなないけど、お釈迦様は我々の住むこの世界をどう言っていたのか知りたい!」
と思わず言ってしまいました。その、迫ってくるような言い方に、

念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は笑いながら、「そう焦らずに、今から教えてあげるから。」と言いました。

念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方が話してくれた内容は、次の通りです。

1.仏教の宇宙観 念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞いたこと

2500万年前に、お釈迦様が説かれた仏教には、宇宙観というものがあるそうで、古代インドで書かれた「倶舎論」によると、世界の中心には「須弥山」という伝説の山があるそうです。

その「須弥山」の高さは、海抜8万由旬。そしてこの「須弥山」は、水面下にも同じ8万由旬高さがあるので、合計で16万由旬の大きさの山だそうです。

1由旬というのは、約14.4キロのことです。

ここではわかりやすく、1由旬を10キロということにしようと、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は言いました。この一角に我々は住んでいるそうです。

2.仏教で言う世界全体の大きさ(三千大千世界) 念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞いたこと

そして、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方が言うには、この須弥山を含む世界全体のことを経典では
「三千大千世界」と呼んでいるらしいのですが、こんなイメージのようです。

直径が太陽系程の大きさの円盤が3枚重なった上に、高さ約80万Kmの山が乗っています。
これがひとつの世界で、小世界といいます。

      小世界が1,000個集まったものを小千世界。

      小千世界が1,000個で中千世界。      

      中千世界が1,000個で大千世界といいます。

      小世界の数でいうと何と100億個もあると言うのです。

我々はこの小世界のひとつに住んでいることになります。

「大千世界」は、ひとりの仏様が教化できる範囲ですので、仏国土とも言います。

須弥山を中心としたひとつの小世界が「須弥山世界」。

そしてその世界の数について御釈迦様は、ガンジス川の砂の数程も仏様はいる、と言っています。

我々の住む大千世界「娑婆」と、阿弥陀仏の住む大千世界「西方極楽浄土」の間には、十万億の大千世界があるとも言っています。

3.「須弥山」 念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞いたこと

念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は続けます。その小世界の中心にあるのが「須弥山」。

高さは先ほどの前提(1由旬=10キロ)からすると80万キロメートル。

この須弥山はどのように存在しているかと言うと、先ほど、3つの円盤が重なっていると書きましたが、
まず虚空(空間)の中に風輪(ふうりん)という土台の上に存在している。

形は円盤状で大きさは示せないほど大きい。 高さは180万由旬。1800万km。

その上に同じく円盤状の水輪(すいりん)が乗っていて、水輪の大きさは直径が
120万3450由旬(ゆじゅん)高さが80万由旬。 800万km。その水輪の上に金輪(こんりん)が
乗っています。

金輪の大きさは、直径は水輪と同じ120万3450由旬で、高さは32万由旬。 320万km。

その金輪の表面に山、海、島などが乗っているそうである。

水輪と金輪の境い目は、「金輪際(こんりんざい)」と呼ばれるようです。

そのとき、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方の方が

「もうコンリンザイいたしません」というような表現は聞いたことあるでしょ?そのコンリンザイは、この
「金輪際」と書くんだよって教えてくれました。

つまり「金輪際」は、「真底」「徹底的」を意味しているのであって、

金輪際の 一角にすむ我々にとっては、金輪際が真の底ということです。

そして、円盤のまん中にある山を須弥山(しゅみせん)といいます。

ここまでが、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方に聞いた話です。

なんだか途方もなく広い空間に我々は存在しているんなぁと言うくらいしかわかりませんが、そんなことを、想像する人が、2500年前のインド、いや地球上に他にはいなかったんじゃないでしょうか?

4.お釈迦様の時代の西洋における宇宙

さて、家に帰って、今日念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方に聞いたお話を思い返してみると、
お釈迦様が生きていたほぼ同時代、西洋はどんな時代だったのかと、ふと思いました。

それは、ギリシャ時代のアリストテレスやプラトンが生きていた時代です。

そのころの西洋の宇宙の考え方は、天動説。

あくまでも地球が全ての中心で、その周りを宇宙が回っていると言うもの。

天文学としては、東洋よりはずっと発達していたものの、
宇宙全体を捉えると言うことまでには至らなかったようです。見える部分の観察と分析は抜群であったと思われます。

逆に、お釈迦様が説かれた仏教は、宇宙全体や時空を超えた部分にまで触れていることに、

ロマンというか、一層ワクワクしてきました。
常日頃、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方が言われる様に、正に仏教の不思議の部分だと思います。

実際の大きさこそ違いますが、当時としては、誰も想像もつかないような世の中の真理を言われ、
それが、2500年をかけて徐々に科学的にも証明されてきていることも多いです。

ですから、先ほどから述べている何千、何万、何億と言う数字は、当時としては、きっと無限に続くという事と等しかったんじゃないかと思います。

実際、お釈迦様が、ガンジス川の砂の数ほどと言う意味で、「恒河沙」という数の単位をいわれましたが、

最近の研究では、地球上の砂の数より、宇宙にある星の数のほうが多い!
とまで言われています。 (「沙」とは、1億分の1の単位。)

アインシュタインの相対性理論も、基はお釈迦様が説かれた相対の考え方が基本になっているとまで言われています。

一体なぜ、科学的な理論も天体望遠鏡も宇宙船もない時代に、
お釈迦様の仏教が、宇宙の広さや、星の数を具体的に説くことができたのかは、
「不思議」としか言いようがありませんが、

そんな仏教に益々魅かれます。