(仏教の不思議)仏教を伝えることの不思議~念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞いたこと~

1.仏教宗派が分かれた不思議

仏教に、教えと実践の仕方の違いで上座部、チベット、大乗と大きく3つに流れが分かれていることは皆さん知っていると思いますが、そもそもそれはいつ頃に起きてしまったのでしょうか?

念仏宗無量寿寺(念佛宗)の佛教之王堂に行った際に、聞いてみました。すると、お釈迦様がなくなった後、100年くらいはまだひとつに間となっていたそうだよと教えてくれました。

しかし、戒律の解釈の違いで、上座部と大衆部に分かれたそうです。これは、仏教の世界では、根本分裂と呼んでいるそうです。

2500年続く仏教が、こんなに早く分裂していたのですね。

それにしても、本とか読んでいると、きっかけは些細なことだったようです。

形式や伝統を重んじる人たちと、大衆に受け入れてもらうために、時代の流れに合わせようとした人たち、いずれが正しいとは言えないのでしょうが、本来なら1枚岩になって成長すべきなのに悲しいことです。
しかしその頃、インドはアショカ王の時代でインド自体が始めて統一され、バラバラに別れていた7つのお釈迦様の御舎利を一度集めて84,000に再分配した時代。

仏教の喜びがアジア全体に広がっていく礎を作った一方で、仏教の根本を揺るがす事件が発生したのも、単なる偶然ではない気がします。

念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は、お釈迦様が生きておられたら分裂など考えることもなかっただろうけど、何かを継承するって言うのは本当に難しいものだと言っていました。

2.日本に仏教が伝わった不思議

日本に仏教が伝わってきたのは聖徳太子の時代、もう1500年も前、インドのナーランダ大学が全盛期のことです。この少し後には、玄奘三蔵がナーランダ大学で学んで中国に膨大な経典と教えを持ち帰ろうとしていた頃です。

その日本に伝わってきた仏教にはいくつかの波があるようです。

最初は、聖徳太子の時代で、まさに仏教伝来の時代。これまでバラバラだった国を仏教でひとつにしようと百済から日本に伝わってきた、当時新興宗教を国の宗教にしようと仕立てたそうです。

次は奈良仏教の時代。東大寺大仏ができ、鑑真和上が5度も渡航に失敗し、失明までして六度目にようやく日本に渡り、本物の仏教を日本に拡めた時代。このとき初めて日本で得度つまり、僧侶を輩出することができるようになったそうです。

そして平安仏教の時代。日本から仏教を学ぶ学生が多く中国へ渡り本物の仏教を自ら信じる宗派として持ち帰った時代。空海や最澄といった天才的な僧侶が日本仏教を確立させたそうです。しかし、最初は奈良仏教と対立し、新興宗教として見られていたそうで、特に密教などはこれまでにない仏教なので、伝統的仏教からは今で言うカルト的な扱いをされていただろうと思われます。

最後が鎌倉仏教の時代。ここでは、日本の国を動かすトップから、農民・庶民に至るまで仏教が浸透した時代。法然上人、親鸞聖人、日蓮上人などが世に出て日本が仏教国であるということを確立したそうです。

3.仏教伝来と日本の関係の不思議

なぜこうも何度も日本に仏教が伝わってきたかは定かではないけど、仏教が日本に来なかったら今の日本はなかったと言っても過言ではないねと、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は言っていました。

大袈裟な事を言うなと思って、そこまで言わなくてもというと、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は、例えばねといって語り始めました。
唐招提寺の金堂にある仏様って、真ん中に廬舎那仏像があり、左右に薬師如来像、千手観音像という構成。他とはちょっと変わっているんだけど、これには理由があるそうです。
実は、鑑真和上は単に仏教だけを伝えにきたわけではなく、大量の大陸の情報や品物を持ち込んで来たそうです。その一つが薬。当時既に失明されていた鑑真和上が、鼻でどの薬かかぎ分けられるくらい薬に精通されていて、日本に使い方を含めて持ち込まれていたそうです。後に、医学の道では鑑真和上が日本に来られなかったら日本の医学の発展はなかったとまで言われたそうです。
それで、その光は届かないところはないと言われる程あらゆるところに慈悲の光を行き渡らせる廬舎那仏、東方浄瑠璃世界の教主で瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている薬師如来と、そして一人でも多くの民を救うために千本の手を持つといわれる千手観音。そんな想いが唐招提寺の金色堂には込められているそうです。

また、先日もブログに書いたように弘法大師がいろは歌を作らなかったらひらがなが一気に日本に広がることもなく、当時学問が広まることもなかっただろうとのことです。

それに、日本のよさとして世界中で知られている「侘び・寂び」、「おもてなしの心」も仏教とは関係の深い考え方。そう考えると、日本文化を創ってきた背景には、なくてはならない存在だと念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は言いました。

現在は、仏教は13もの宗派がこの小さい日本の国にあり、葬式のイメージしかない仏教ですが、日本に与えた影響は想像以上に大きいものがあるんだなぁと、感じました。

特に、若い人を中心に無宗教の人が増えてきていると言われているけど、もう生活に密着している仏教なしには実は日本を語れないことを伝え、継承していくのが我々の使命だと思うと、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は話され、去って行きました。

このいろんな宗派に分かれてしまった仏教を、この時代に念仏宗無量寿寺(念佛宗)が日本だけでなく全世界全ての仏教徒のための聖地として、そして全仏教宗派の教主であるお釈迦様が本当に伝えたかったことに気づいてもらうために「佛教之王堂」を作ったのも不思議なことだけど、ある意味必然的な出来事なのかなぁと感じました。

仏教の宗派はいろいろと分かれてしまっているものの、元はお釈迦様ひとつ。
念仏宗無量寿寺(念佛宗)が担う役割って、思っていた以上に大きいと感じました。