(仏教の不思議)お釈迦様が本当に残したかったことの不思議~念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞いたこと~

1.投げかけ 仏教宗派とお釈迦様が本当に残したかったこと

仏教には宗派があることを皆さんはご存知だと思いますが、なぜ分かれていったのでしょうか?それは勿論、お弟子さんたちの師匠であるお釈迦様のお話の解釈の違いがあったのだと思います。
  しかし先日、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の佛教之王堂で、そんな質問をされ、一度考えてみてごらん。と言われました。また、自分にとってどれが一番自分に近いのか? それは何故か?そして、お釈迦様は何を残したかったのか?も考えてごらんと念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方に言われました。

2.考え 仏教宗派とお釈迦様が本当に残したかったこと。

お釈迦様はきっと、弟子にはいろいろな考えを持った人たちがいることは知っていたと思います。しかしお釈迦様が死んだ後は、仏教の教えがあまりにも広く深いために誰か一人が全てを理解し、護りきる事ができないとお解りになっていたんじゃないかなぁと思います。だから、身とこころの宗派に分かれて行ったんじゃないかと思います。身とこころと言ったのは、
身は自力本願、修行中心の上座部仏教、
こころは他力本願、自利利他の大乗仏教、
この2つです。モンゴル仏教は、大乗仏教から派生したと聞いていますので広い意味では大乗と思っています。
上座部仏教は、人間は修行によってのみ悟ることができると信じて結婚することもなくひたすら修行に励むというイメージがあります。上座部仏教は、どこか鋼のように硬くて強い意志というイメージがあり、生半可な気持ちでは望めないという近寄りがたい雰囲気も感じます。
一方、大乗仏教は、日々感謝をして悪いことをせずに良い事を常に行え、そして、人のために尽くす、施すということを実践しなさいという、自分1人ではなく必ず相手がいて我々は1人では存在できない、自分のことより他の人のために何かをさせてもらうということで、自分を自覚するというイメージがあります。ある意味、大乗仏教はどこかウェットで心が弱い人向き、大衆に受け入れやすいものという気もします。
周りを見渡しても、自分に厳しい人と自分に甘い人、自己中心的な人と思いやりの心が強い人と、大きく人々を分類できるので、仏教においても2つや3つに分かれるというのは、当然の成り行きなのかもしれないと感じました。

3.自分に近いのはどっち? お釈迦様が本当に残したかったこと。

さて、このように分かれてしまうことになった仏教ですが、どちらの教えをお釈迦様は残したかったのでしょうか? やはり、生半可では2500年以上も伝わり続けることはできないので、厳しい戒律とそれを護っていく修行を重視されたと想像しました。だから上座部仏教がよりお釈迦様の本質に近いのだろうと思い、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方に相談することに・・・・。

すると、念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方は、お釈迦様が悟られて最初の比丘5人にどんなことを説法されたか思い出してごらん。と私に言われました。私は、確か人間、所詮は四苦八苦の中を生きているって言われたんだよなぁということを思い出しながら、自分って苦しむために生きているのだっけ?いや時々美味しいもの食べたり宝くじに当たったりとよいこともあったよな?と思っていたとき、念仏宗無量寿寺の方が、みんなが欲を出さずお互いを気遣いながらバランスよく生きていたら、この世の中もっとよくなるよね?とヒントをくれました。

その時、ハッと気づきました。

お釈迦様はそれを中道って言われたのだよね?

お釈迦様は贅の限りと、これ以上ない苦行を行われたが悟る事はできなかった。その両方を捨てたときようやく悟りの境地に達することができたと以前、念仏宗無量寿寺(念佛宗)で聞きました。

それを思い出した私は、修行中心の上座部より、修行だけではない大乗仏教の方がよりお釈迦様により近いでしょ?と念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方に聞くと、どっちというのではなく、両方あって初めて成り立つ教えだよ。それは、元はお釈迦様お一人が話されたことが派生してできた宗派だから当たり前だが、意味があって今の形になっているんだよ。我々もこれは、不思議だと思っているよ。

しかし、自分にはきっと上座部仏教の厳しさは耐え切れないから、大乗仏教の方があってるかな?と思いました。

そういえば、ずっと前に念仏宗無量寿寺(念佛宗)の方がこんなことを言っていました。

上座部仏教は、厳しい戒律と修行を通して心の平穏を求める宗派、
大乗仏教は、相手を想いやることによって心を教える宗派。

仏教には上座部仏教と大乗仏教がある。このいずれも存在しないと仏教は成り立たない。
いずれか一つの宗派しか存在しなかったら、こんなに長く仏教が続いていなかったかもしれない。
お互いが補完し合うから2500年も長く続いてきている。

それを聞いてそんな先まで見据えた不思議な宗教だと思いました。

一見、大乗仏教のほうが簡単で誰でも信仰できると思われがちだが、元々、自己中心的で安易なほうへ流されやすい人間は、大乗仏教のほうが本当に意味では厳しく継続できないものだということに気づいている人は少ない。大乗仏教は、人がそれに出会ってからが大変な宗派である。死ぬまでバランスを保ち続けるということは並大抵ではできない。 自分の心は煩悩に常に揺れ、すぐに楽な方、簡単な方に流されてしまうからだ。
だからこそ、同じ道を歩む友を持って、お互いに精進する必要があるのだよと、念仏宗無量寿寺(念佛宗)のお堂で優しく教えてくれました。

そのお話を聞いていて、仏教は、人の心を正確にとらえた、深遠で不思議な宗教だと感じました